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【開けていく詩人になる方法】

人生は、一冊の本。

めくってゆくのは、風かしら。時間かしら。
それとも意志なのかしら。

小説を読んでいるとき、それは「小説」を読んでいるのか、「一冊の本」を読んでいるのか、どちらなんだろう。
目の前にある印刷された一冊の本。きっと何千何百という同じ本がある。
多くの同じ本が存在しているからこそ、いま、この一冊の本がわたしの手元にあるのね。
不思議な存在だね。そして、わたしが「読む」という行為をとおして「一冊の本」となる。
この読むという経験は、実はとっても貴重なことだと思うの。

 20世紀のロシアの優れた詩人マンデリシュターム。シベリアの収容所で死んだ。
彼の詩集は長い間発禁となる。詩人が逮捕された時、自室に隠した詩集のコピーが失われても、 いつでも再現できるようにと奥さんはただひとり、その詩篇を暗記しつづけた、という話を聞いたの。

一冊の詩集をめぐる壮絶なエピソード。でも聴こえてくるのは、とても静かな水のような音。
禁書なんて、わたしにはピンとこないのだけれど。でも、ちょっと目を瞑って考えてみる。
現実をまっすぐに引き受けているひとりの書き手の問いかけを、人々が一冊の本として手にし、想像力を喚起されることさえ塞がれるとりかえしのつかなさ。この場合は権力によってだね。
権力が恐れ、書き手の表現の自由を奪うのは、本が一冊の本となって読まれる影響力を指しているんだね。
いま書店に行けば、選ぶのに困るほどの本が林のよう。
本の溢れた本棚に慣れっこになって、まっすぐな読者になることを意識してないなあと、ちょっぴり反省した秋です。

一冊の未知の本をここに持ち、 それを読むというのは、自身を読者として自立させることだと思うから。

現在、本は「一冊の本」となるために、企業の思惑や売れ筋やをかいくぐって出版されているよね。
それは、ひとりで生きていかなくちゃいけないけれど、他者と関わることなしに暮らせないわたしたちの姿にとても似ているような気がするの。
そして、頁を開けていく。
人生の頁を。

詩と出逢うことの多くは、一冊の詩集と出逢うこと。
何度も何度も頁を繰り、紙の端がよれよれになった擦りきれそうな詩集。
頁を繰るごとに渡ってゆくのは、ひとりからひとりへ届けられるコトバ。
詩人が語るコトバは解体されたり膨らんだりしながら、読者の想像力のなかで、新しいコトバを放つ。
そんな詩集を手にしたとき、世界にみつけられたような気がする。
地下鉄に揺られながら。夜の枕元や、陽射しのさしこむ図書館で。
そんな時間を重ねて、自分と世界の、自身への向きあい方を問われていると気がついたのは、最近のこと。
ともかく、そんな一冊の本が、あなたの手元にあればいいな。

わたしは、未知の詩集を内包しているのだけれど、これを一冊の本にしたいと強く願っています。
きっとあなたのなかにも、未知の一冊の本があるはず。


上田假奈代 (詩屋・シタゴコロプロジェクト代表)
やりたいと思ったことは実行してみよう習慣を身につけよう。
そんなわけで、シタゴコロプロジェクト再発動。
詩の朗読、また他ジャンルとのコラボレートを試みるワークショップを定期的に開催。
好きなことをオシゴトにしたくて、画策中です。
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<このページはC/P カルチャーポケットに掲載されたものを転載しています>
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