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【再び・生きる詩人になる方法】 毎日、地下鉄の駅までの道に花を見る。 自宅から長居公園沿いにえんえんとまっすぐの道が続く。 駅に近づくと、土中に瓶が1本埋め込まれ、そこにはいつも花が飾られている。 交通事故で亡くなった人がいるのだろうか。 松と白菊がくっきりと活けられたお正月は、新年を死者と供にむかえるのだという、清清しさだった。 長居公園の近くに暮らして1年が経つが、いつでも花は活け変えられ、枯れることがない。 見えない死者を日々の拠りどころとする誰かの意志を感じる。 死者は死につづけることしかできない。 そして、生き残った者は死者を記憶しつづけることによって、未来に生きることのない他者を自身のなかに持つ。 花を活ける人を見たことがないので、どんな人かわからない。 電車を乗り継ぎ、長い時間をかけてここにやってくるのか、散歩する犬を連れて立ち寄るのか。 携えた花を地面に置き、その人はしゃがみ、深い沈黙に目を瞑っていると思う。 とりかえしのつかない悔恨やせつなさの前でわたしたちは、言葉を選ぶことはできない。 詩に関わるようになって30年近くたつわたしも、いまでも言葉とうまくつきあえない。 詩人でもライターでもあり、たくさんの言葉に接し、言葉を選んでいるにも関わらず、てらいのない適切な言葉を選ぶことは難しい。 言葉をあつかう気持ちに上滑りせず、閉じず、奢らず、翻弄されずにいること。 うっかり、その渦に巻き込まれそうなとき、わたしは道端の瓶に飾られたひっそりとした花を思う。 沈黙を抱きながら、死につづける死者とむきあい花を握るその人の手を思う。 その人が担っていく生への意志を思う。 自身の人生をひきうけていくときに、言葉が沈黙を越えることができないとしても、 それでも、その沈黙に薄黄緑の風がやわらかく吹き込み、光を照らすような言葉を添えたいと思っている。 それが詩人の仕事だ。 着物の裾をひるがえし自転車をこぎながら、駅に向かうわたしは傍らを見る。 いつものその瓶に、今日は百合が白く咲いている。 手をあわせたその人の沈黙の後をひきうけた咲きかたで、静かに。 上田假奈代 (詩業家) 1969年奈良県生まれ。大阪市在住。シタゴコロプロジェクト名誉会長。 トイレ連込み朗読プロジェクトなど「詩人はまちにでよう」と呼びかけています。 3月中旬には、ファンクラブが結成されます。詳しくは KANAYOオフィシャルサイト http://www.kanayo-net.com -------------------------------------------------------------------------------- ●「詩人になる方法シリーズ」は、今号で終了。 今までお読みくださって、ほんとうにありがとうございました。 次号からは「詩人の回転レシーブ〜朗読CD製作の行方は何処」(仮)です。 引きつづき上田假奈代がお届けします。 卒業や入学、転勤など、駆け足の春のはじまり。お元気にお過ごしくださいね。 |
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