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【詩人の回転レシーブ 1】 崖っぷちに咲けるか。 春海の海岸に足跡が歩いている。 足裏のかたちで、歩幅は砂色に等間隔で、 波音が近づいたり、遠のいたりしている。 ここで踏み込み、くるっと回転。 詩人が詩で稼いでいることは少ない、と多くの人が知っているところだろう。まったくその通りで、たいていは別の職業を持っていて、その稼ぎで自分や家族を養い、詩集や同人誌を作ったりする。それらが流通され、売買されるケースは非常に少ない。 3歳から詩人だったわたしは、小学生の頃から詩誌デビューを果たし、詩人である母たちの季刊フリーペーパーに〆きりを持ち、新聞に投稿しては、お小遣い稼ぎをしていた。 順調に作品発表していたにも関わらず、専業主婦でもある母に「詩を仕事にしようなんて思わんことよ」と言い続けられていた。彼女の意図は汲めなかったが「詩が人生の友達なら、いいじゃないの」ということなのだろう。 母を見るかぎり、詩と人生は互いを深めあっていた、と思う。日常が詩によって発見されていたし、書くという行為のなかに、人生や孤独をみつめる姿勢を感じていた。子どもながらにそんなことを思っている間に、就職活動の年齢になりコピーライターという職業を選んだ。コトバへの関心が、ほかの興味よりアタマ一つ分高かったから。 風通しのよい会社だったことが幸いした。当時の関西では詩のイベントは殆どなかったので、朗読というカタチの詩の企画を立ち上げていく。そして10年程サラリーマン詩人をやっているうちに「ああ、いつでも詩をやめられるな」と思ったのだ。悔いの残らないようにやってきて、水のようにあまねく流れる人でいたい、と。 そこで環境を一変してみた。職業を変え、野生鹿が住むような吉野の山奥で暮らしはじめたが、数カ月で身体を壊し、再び職業を考えたときに、コトバしかなかった。 一昨年の年末から大阪でフリーライターとして暮らしはじめるのだが、詩人として蒔いた種子が少しづつ芽をだしてきていた。 詩のイベントも詩人の友達もすこしは増え、詩の仕事らしきものが舞い込みはじめた。 詩を仕事にしようと決意したひとつのきっかけは、わたしが大阪に来たときと同時の辛い事柄まで遡る。 若い詩人の友達が自殺した。 真冬の朝に飛び下りたのだ。 「コトバが人生の光になる」と伝えきれなかった悔しさ。とりかえしのつかない日々を、どうすれば顔をあげて生きていけるだろうか。わたしなりのやり方、詩を仕事として成りたたせ、いい仕事をして、コトバと人々を繋ぐこと。それがわたしの供養であり、悔しさへの刃向いだと思いはじめた。 ところが、詩を仕事として成り立たせる具体的手段がよくわからない。ともかく考えつく事柄を実践するより方法がない。 そのひとつが物販。あまりに当たり前だけど、物々交換の時代を生きている詩人たちには、物販という概念がなく、そのマーケットは未知の海である。 この度「C/P」から朗読CDを作らないかと持ちかけられた時、旭区の芸術創造館の正方形の机に着くまで信じられなかった。 打ち合せを重ね、制作の流れ、お金のことなどを詰め、どうやってカタチにしていくかを話し合っている。立ち上がった企画は、女性6人と上田假奈代(詩と朗読)とのコラボレーション。 お相手として決定したのは、
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