→▼ M E N U
● 最新号 |
【ぽえ犬と詩人は歩きながら考える 2】 声はココロ、なんよ。 日射しがビルディングに反射して、もっと眩しくなって、夏のアスファルトの温度をあげる。ぬるい風。この風が冷たく袖口にふきこんでいた頃のことを思い出す。 所在なげな晩秋の夜遅くに、電話が鳴った。わたしが主宰する「詩の学校」に通う飯島は「手を貸してください」と懇願の声である。さきほど、初対面の女性に視覚障害者施設の入所者の発表会のために稽古をつける依頼をうけたのだと言う。彼は「一緒に来てほしい」とつづける。 元ミュージシャンだった彼も、わたしも、これは「詩人の仕事」だと直感した。 電車を乗り継ぎ、放出駅の改札口で待ち合わせた彼は頭をさげながら、タクシィに乗り込む。 おおきな公園の傍らに停車したタクシィ。こどもたちの歓声が聞こえる。道のまん中にまで、銀杏が黄金色の葉を落している。 施設は、学校の宿舎のようだった。迎えてくれた女性が、飯島を口説いた職員の井野さん。笑顔をひとめみて、このと人なら一緒にやれる、そう思った。 案内された体育館には、すでに円座になった彼ら。すこし緊張した面持ちで挨拶をかわした。 視覚障害といってもさまざまで、彼らは中途失明者であり、事故や病気で突然に視覚を失った人たちである。 コミュニケィションは、視覚情報によってとりもたれることが多く、それが失われると、対象相手が見えないために、関り方がわからなくなる。 そのうえ、事故による失明の場合は、脳の前頭連合野の損傷を伴うこともあり、問題を複雑にさせる。 さて、詩人に何ができるか。何をするのか。 彼らが自らの意志で舞台に立ち、他者に伝える勇気をもてるように、そのきっかけづくりをわたしは行おう。 他者に耳をそばだて、じぶんのこころの深くを聞くこと。 朗読に立つとき、いちばん大切なことは、耳を澄ますことだから。 初日の参加者は4人。事故で障害を持った若者が3名と、病気による失明者が1名だった。その中のひとり・ヌマさんは、返事したのかどうかも分からないほど。直角にうつむいた首、唇がほとんど動かない小さな声は、床へと落ちる。こんなに項垂れた人を見たのは、はじめてだった。視覚を失うとは、闇のような絶望なのか。 わたしは、目を閉じる。ひと呼吸し、そのまま受け止めようと、思う。彼らの暗く、静かなたたずまいに寄り添うように立つ。 彼らが発表会で披露すると決めている「贈る言葉」。歌詞をうろ覚えだというので、この詞をわたしが朗読することから始めた。「暮れなずむ街の光と影のなか、、、」どうして彼らは、この歌を選んだのだろう。胸中を思うと、この言葉がずっしりと重い。 わたしは歌詞を忠実に朗読することをやめた。詩人として誠実に向きあいたいと願った。それならば、借り物ではない光と影のイメージを持とう。 暮れていく歳末の街の雑踏や、鳥が渡っていく紺色の空を思った。イメージの輪郭をくっきり描きながら、声に置きかえていく。 彼らの研ぎすまされた聴覚と集中力が、わたしの声を水のように呼び込む。静まりかえった体育館。呼吸と同じように館内は息をしている。ゆっくりとその呼吸が、せつなく、穏やかになっていくのがわかる。 ココロの水面にほつほつと波がたつ。まるで記憶を手繰り寄せるように。 朗読を終えると、彼らは我に返ったように拍手をしてくれた。 そこから、始まったのだ。一ヶ月後に控えた発表会への道のりが、声を頼りに、彼らと向き合う時間が。 ●上田假奈代出動情報●
|
|
************************************************ |