ぽえ犬 その1

ライトハウスレポート

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第一部・第二部 


ライトハウスレポート 第二部 飯島秀司

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●かのこきのこ〜空を泳ぐように

  • 1月のある水曜日、
    春からルーティンで始まる「声とことばのワークショップ」の打合せのため、
    ライトハウスを訪れた私は、その足で体育室に向かった。
    井野さんが利用者向けに
    「音と声の時間」と題したワークをやっていると聞いていたからだ。
    井野さんはニコニコ笑いながら、私を輪の中に招き入れ、みんなに紹介した。
    すぐに私はギターを持たされて、「桃太郎さん」を民族音楽風に演奏していた。
    参加者の年齢層は幅広く、
    (当然のことながら)視覚障害の程度も物事に対する反応も様々。
    途中、ことばを使ったちょっとした寸劇のようなことも挟んで、
    大団円を迎える頃には、なんだか暖かい気持ちになった。
    後片づけの時、
    「いいじまさんは、ギターを何歳から弾いているのですか?」
    と聞いてきたのが、かのこさん。
    桃太郎が海を渡るとき、
    レインスティックで波の音を楽しそうに奏でていた彼の姿を思い出す。

    彼に次に出会ったのは、まだ寒い2月の末。
    兵庫県美術館で行われた視覚障害を持つ造形画家、光島貴之さんの展覧会ツアーの時。
    プログラム終了後、再会した私たちは、ツアーの感想を少しの時間だが、語り合った。
    かのこさんは一所懸命に話してくれる。
    そう。彼は絵が大好きなのだ。

    「声とことばのワークショップ」は土曜日に行われることになったので、
    週末になるとライトハウスから一時帰宅するかのこさんに会うことはなかった。
    そして半年が過ぎたころ、cocoroomのテーブルにかのこさんが座っていた。

    ライトハウス職員の森田有子さんとかのこさんのお母さんともに、
    上田假奈代と何やら真剣にしゃべっている。
    「よう!久しぶりやね」遅れて席についた私は、
    クリアファイルに閉じられた大量の絵手紙を目にした。
    どこかおかしみのある木訥としたタッチの絵。
    彼の素直なことばが添えられてある絵手紙の数々は、
    いいのもあれば、もうひとつなのもある。
    そして、机の上には恐竜のような造形物。これもかのこさんが造ったのだという。
    なんだか彼に似ている。
    ひきこもり症状だったらしく、外に出たのも2週間ぶりらしい。
    勇気をふるって、かのこさんはcocoroomに来たのだ。 

視覚障害者施設・ライトハウスでのワークショップで出会ったかのこさん
夏のある日、かのこさんとお母さん達が、COCOROOMを訪ねてきた。
その理由とは。

  • ポーカフェイスの彼は、寝込んでいたとは言わない。
    そのうえ 飄々とした顔で 作品を見せ「個展やりたいんです」と言う。
    ところが、である。
    個展をするというのは宣言したからといって翌朝できるものではないのである。
    いろんな雑多な仕事がある。それを すべて かのこさんにお話しした。
    かのこさんは 困った顔をした。
    展覧会をするとは、他者に見せる見てもらうことであり
    表現活動は他者との交感であり、孤独を引き受けることである。
    そういった話を わたしは話した。
    彼は、ますます困った顔をしたけれど、
    「どんなことでも ぼくは がんばります」と言う 

    上記:上田假奈代「人生のきりひらきかた」より一部抜粋


    「がんばります」は、かのこさんだけではなかった。
    『かのこきのこ展』を大急ぎでやることになったCOCOROOMもまた、
    てんやわんやの大騒ぎになったのである。
    オープン間もないCOCOROOMには
    展覧会をやるだけのノウハウも備品も準備もないため、何から手をつけていいのやら。
    いきがかり上、キュレーションは上田が担当することになった。
    かのこさんの持ち込んだ沢山の絵手紙や造形物の中から
    良いものをセレクトしなければならないし
    キチンと額装しなければならないし
    案内状を大急ぎでつくって、発送しなければならないし
    デザイナーは?印刷所は?それ以前に発送先も調べないといけないし
    ああニュースリリースも送らなくちゃ、新聞社なら取りあげてくれるかもしれない
    照明はどうする?
    ギャラリーみたいなのここにはないよ、造形物に台が必要だけどどうしよう
    予算も切り詰めないといけないし
    展覧会のオープニングパーティってどんな感じだったっけ?
    ワークショップもやるし、絵手紙をCOCOROOMのスペースでどう見せたらいいのだろう?
    困ってしまったのは、かのこさんだけじゃなかったのである。

視覚障害者施設・ライトハウスでのワークショップで出会ったかのこさん。
cocoroomで急遽、個展をひらくことになり、みんな大慌て。
まわりを巻き込み、巻き込まれ・・・。

  • 2003年7月、かのこきのこ展オープンの朝を迎えた。
    かのこさんの絵手紙が額に装丁されcocoroomの壁を飾っている。
    それらは、remoのキュレーター雨森さんや美術ライターの山下さんなどの意見を参考にして、
    上田假奈代がうんうん言いながら、やっとのことで選んだ14枚。
    額は服部(現川崎)まみちが茨木市の額縁屋さんまで足を運んで、つくってもらったもの。
    カフェのテーブルの上には、かのこさんの立体作品がさりげなく飾られているのだが、
    その化粧台は、上田の母親の味左子さんが用意してくれた吉野杉の切り株をつかったものだ。
    きれいに並べられているかのこさんの作品は、なんだかおめかししているみたい。

    cocoroomのステージ上には、
    巨大な模造紙のパネルがあり、
    会期中をつかってかのこさんが、大きな作品を描いていくことに。
    視野に限界のあるかのこさんであるが、かのこさんにしか描けない世界があるのではないか。
    まだ何かをとらえきれていないと感じたのか、
    上田は入り口の陳列ケースを膨大な量の絵手紙で埋めつくした。
    そこには、かのこさんがこつこつと絵手紙を描き続けていた日々の営みがあった。
    かのこさんの絵手紙の先生からは、
    まねきねことお祝いのことばをあしらった絵がとどいて、
    手作りだけど、素朴で、なんだか楽しい会場に仕上がったのは、かのこさんの人柄なのだろう。
    準備に足しげくcocoroomまで通ったかのこさん。
    そして、ご家族やライトハウスやcocoroomのスタッフの気持ちの入った仕事の結果だった。
    それでも、私はまだひやひやしていた。
    準備期間の短さから、宣伝がうまくいっていないのではないか。
    オープニングパーティもあるのに、誰も来なかったらどうしよう。
    ひやひやしながら、かのこきのこ展がはじまった。

蓋を空けてみると、「かのこきのこ展」初日の絵手紙ワーショップとオープニングパーティは、
駆けつけてくれた親戚や友人、ライトハウスの仲間達も加わり盛況で、わたしたちは胸をなで下ろした。

  • 新聞にも小さな記事ではあるが、取り上げられ、新規さんもちらほら。
    かのこさんは、この個展が決まってからは、ひきこもり状態から脱したそうで、
    いきいきと来客をもてなしている。ワークショップは何度も笑いが起こり、
    つづくパーティでは、参加者それぞれの思いが溢れて、暖かく感動的なものになった。
    展覧会開催中の2週間に渡って、かのこさんはcocoroomに通い続けた。
    かのこさんも大変だが、付き添いのお母さんの気苦労たるや如何ばかりか。
    額装され壁に掛けられている14点の絵手紙は、膨大な量の中から厳選されたもの。
    かのこさんが今日まで生きてきた中で感じたこと、喜びや悲しさが込められた作品一点一点に、
    上田がタイトルをつけていった。

    せっかくの展覧会だから、これまでやったことのないことをしようと、
    舞台いっぱいに広げられた模造紙にかのこさんは絵筆を走らせる。
    展示された作品の半分以上に売約の印がつけられ、クロージングパーティを大団円で迎えるころ、
    このお祭りが終らなければいいな、と感じていたのはわたしだけではなかっただろう。

    晩秋のある日、cocoroomに立ち寄ってくれたかのこさんはあまり元気がなく、絵手紙もあまり描いていないようだった。
    上田は言う、「勇気とは一大事に必要なのではなく、繰り返しの毎日の中であきらめないこと」だと。
    かのこさんが、繰り返す日々の中で、もう一度筆をとり、自らの力で展覧会を開くことを切に願う。




ライトハウスレポート第3部 飯島秀司
「The Lighthouse Tapes vol.0」

  • ココルームの私の机の引き出しには、DATテープの山がある。
    The Lighthouse Tapes。
    視覚障害者施設でのワークショップの模様が収められたこれらのテープには、
    日付と参加者名だけが記載されており、2週に1度の土曜の午後、私たちが過ごした90分の記録として存在している。
    当初はあくまで記録用との意図だったので、なかなか聞き直すことがなかったのだが、
    ある午後ワークショップ報告書作成の為、ヘッドフォンで独り音源に向かい合った私は、不思議な心理体験をした。
    マイクの位置を調整するガサガサした音の後、重い扉が開く音がする。
    ガー。
    「こんにちは」「こんにちは」。
    テープが進むにしたがい録音されたものが私の手を離れていく。
    機械のホワイトノイズと周囲の雑多な環境音、
    そして交わされる会話と声が、折り重なる残響の中で震えながら、共振している。
    私は私の心の中の海深くを彷徨っているような感覚にとらわれていた。
    これらのテープは、ワークショップの最初から終わりまでをそのまま録音しているだけなので、基本的に地味で、凡長な時間が多くを占めている。
    しかし目を閉じて、収められた音に身を任せると、視覚イメージをともなった美しいヴィジョンを感じることが出来た。
    これはスタッフと視覚障害者達によって創られた集団作品と言えるかもしれない。
    私はテープに刻まれた時間の繊細なニュアンスに、自分達のやっていることの脆さを自覚し、途方に暮れていた。

    ライトハウスレポートの第3部は、これらThe Lighthouse Tapesに添って筆を進めていきたいと思う。

「The Lighthouse Tapes vol.1」坂の途中で

  • 視覚障害者施設ライトハウスでの録音したテープは、いつも雑談から始まっていく。椅子にたどりつくまでの短いナビゲートの間、声はいつも自然と小さくなる。
    くぐもったガットギター響きで、その日の空模様までわかってしまう。そんな気がするだけだろうか。手始めに、たっぷりのストレッチと深呼吸を繰り返す。テープに収められた環境ノイズの中から、かすかな呼吸の音が聞こえてくる。
    詩人が吉野弘の詩を読む。「犬とサラリーマン」。
    犬と会話をかわしそうになるが、思いとどまる。そんなサラリーマンの呟きが幻の風景にようにそこにあった。
    それから、身体をまっすぐにしてみる。
    それぞれの声の持ち主がぎこちなく声を重ねはじめる。
    詩人は話しかける。
    好きな坂について教えてください。
    坂についての思い思いがゆっくりと、ゆっくりと、返ってくる。
    あなたの好きな坂はどんなでしたか。
    父さんとトラクターで坂を走ったなぁ。それぐらいだ。
    あなたの坂の想い出を聞かせてください。
    いつも坂を探していました。自転車で駆け降りる為の坂を。
    あなたの暮らした町の坂は、どんな坂でしたか。
    くだっては、のぼり、のぼっては、くだり。
    毎日、毎日、どこまでもつづく坂をのぼりおりするのがつらかったぁ。
    坂を語る女の声が、歩んできた人生について。
    テープレコーダーを前にした私は、はっと息をのむ。
    くだっては、のぼり。のぼっては、くだり。
    さっきの男が、しみじみ言う。
    そのうち坂を探すことが、とてもばかばかしいことだと気づき、そんな遊びはやめてしまったのです。
    やがて、いくつもの声が立ち上がる。雲母のように幾層にも重なった声が確かな存在をなしはじめる。ときどき、ひときわ大きくなる男の声に、声の持ち主のその場への精神的な負荷と、エゴに似た自意識の緊張を聴くことができる。それはまぎれもなく私の声だった。
    意志を持ちはじめたように、声々がオーケストラのように響いた。
    混濁していたハーモニーが澄み渡りはじめ、雲の上に糸が伸びていく。
    その場所で、詩人はひとりだった。彼女がもういちど話しかけようとする時、言葉は、ひとりからひとりへ向けられた詩を詠う声に変わっていった。青空が広がっていく。

「The Lighthouse Tapes vol.2」沈黙のとき

  • その日のDATテープには緊張が収められていた。
    ガットギターのやわらかい音色の中で、参加者の雑談がつづく。
    私の声がワークショップの始まりを告げる。
    人も木々も楽器も呼吸しているのだ、とその声は言う。大きく深呼吸。
    上田の声がつづいた。新芽のお話。あたたかな春の日だ。
    中上健次の「鳳仙花」を上田は読んで聞かせる。熊野を舞台にした物語。
    静謐な時間が流れている。
    しかしこのテープには、時折、茶々を入れる大声が録音されていて、その度に場全体に微かな緊張が走るのが聞き取れる。
    読了後、上田を中心に「海」についての対話がはじまる。
    ある者は溺れた話。
    またある者は昔の恋人の哀しい思い出話。
  • 参加者達の海にまつわるエピソードに、わいわいと楽しいムードが広がって行く。
    そして、そんな中、ある年配の女性の思い出話が止まらなくなる。
    はじめはあいずちも入っていたが、だんだんと声高になり、孤立したトーンを帯びてくる。
    場が沈んでいくのが、テープからでもよくわかる。
    和やかにみえるワークショップ自体、実はギリギリのバランスで成り立っている。
    それが露になる沈黙の数秒。
    私に一体何が出来ただろうか。
    上田は黙って女性が喋り終わるのを見守っていた。
    テープからは、やがて場に静かな集中力が戻るのが聞き取れる。
    最後までハミングは起こらなかった。
    その後、彼女がワークショップには来ることはなかった。
    4ヶ月が経過したある日、私は彼女と顔をあわせ「お久しぶりですね!」と声をかけた。
    彼女の腕には包帯が巻かれている。
    「あなたは誰ですか?」
    「私ですよ、ワークショップでお会いした飯島です」
    「憶えていません、あなたは誰ですか」少し会話してから、私はその場を辞去した。

    先日、ライトハウスの食堂で、再び彼女と会った。
    「飯島さん、前に声かけてくれはったねぇ」と、彼女は言った。

「The Lighthouse Tapes vol.3」台風

  • その日は朝から近畿一帯に台風注意報。
    どこか胸騒ぎにも似た、台風が来る前独特の静けさが町をつつんでいる。
    8月のライトハウスは一時帰宅者が多くを占め、ここジョイフルセンターの体育室には、私と職員の井野さんの2人だけ。
    遅れて上田も加わり、3人で困ったなぁと顔を見あわせていると、Iさんやってきた。
    生まれた時から全盲だった彼女は、いつもほがらかで、引っ込み時案なところもあるけれど、いつもワークショップを楽しみにしてくれていた。
    マットレスが敷かれ、みんなで寝転ぶ。
    井野さんが谷川俊太郎さんの詩を読んでみた。
    愛とエロスについて雑談になる。今日はお話をしているだけでもいいかなぁ、なんて思っていたら、
    上田は「みんなで詩をつくってみましょうか」と言うのだった。
    紙とエンピツが用意され、会話が書き留められていく。
    私はギターを手にしてポロポロと気ままさにまかせた。
    Iさんの台風の思い出は無花果の木と結びついている。
    "台風がきても 無花果の木は倒れない 姉がぼた山でひろった無花果の木
    2本ひらった無花果の木 2本とも倒れない木 丈夫な木"
    井野さんの台風は、夢で見た光景。
    "マンションの14階まで水につかり ありもしない黒のピアノがベランダに流れてきた"
    Iさんは、さらに遠い昔の記憶をさぐる。
    "記憶にもない小さい時 母の母の兄さんが 避難するように迎えにきてくれた"

    ギターをつま弾く手をとめ、体育室の外に耳を澄ますと、
    台風はまだ気配だけが漂っているのだった。

「The Lighthouse tapes vol.4〜地面に折姫と彦星がある〜」

  • DATテープに残されたその声の主は、もうこの世の人ではない。
    小柄な女性だった。わたしが柴田さんに出会ったのは、昨年の7月。
    ライトハウスでのワークショップでのこと。
    職員の井野さんに連れられ、やってきた柴田さんは、視覚だけではなく、会話も聞き取りづらい様子で、他の参加者とは明らかに違う雰囲気をもっていた。柴田さんと初めて接したわたしは、どんな風にコミュニケーションをとったら良いのか正直わからず、井野さんの助けがなかったら、その日のワークショップは成立しなかったかもしれない。
    テープに残された音源の中に印象的な場面がある。とても小さな音量だ。
    柴田さんとわたしが懸命にコミュニケーションをとりあっている。
    "はっ”と、わたしの声。
    "はっ"、追いかける柴田さんの声。
    "はっ"、"はっ"。"はぁ”、"はっ"、"は"、"はは"、"はっ"。
    お互いの反応が相乗効果をおこし、プリミティヴなリズムに発展していく。
    参加者達の発する声が濃霧のようにあたりを包み込み、声のリズムがつづいていった。
    音源は続いて、前の年のワークショップの話から七夕の話へ移っていく。
    参加者それぞれの七夕の思い出やイメージがぽつり、ぽつりと語られていく。
    やがて柴田さんの順番になり、わたしは彼女の耳元で、「七夕の思い出はありますかぁ」と少々大声を出す。
    柴田さんは、聞こえているのか、聞こえていないのか、しばらく右へ左へぐらぐらと揺れた後、ぶるぶると身体を震わせながら、彼女独特の微かな発声で、何かを説明しはじめた。どうも柴田さんのお家の周辺の地形を説明しているらしい。要領を得ないわたしは、「ほう」とか「うんうん」とか、ややオーバーに答えている。やがて彼女は「ジメン二、地面に織姫と彦星」と言った。わたしは、「ええ!地面に織姫星と彦星があるの?」と訊ねた。すると柴田さんは、小さな顔を"うんうん"と頷かせた。

    何とも言えない不思議な空気が一瞬流れた。
    大地に輝く織姫と彦星を観たような、そんな空気が、一瞬流れた。


「The Lighthouse tapes vol.5〜地面に折姫と彦星がある(中編)〜」

  • 「地面にある織姫と彦星」と、小さくかすれた声で発語した柴田さん。
    彼女はそれ以後も"声とことばのワークショップ"に毎回参加するようになった。
    隔週で開催されるこのワークショップへの参加者はその都度、顔ぶれが微妙に変わり、前回来たある人が今回は来なかったりといった不安定な状況だったにもかかわらず、柴田さんは毎回積極的に参加した。
    柴田さんの声は注意を払わないと聞き取れない程、あまりに小さく、弱々しかったが、それでも人一倍ワークショップを楽しみながら、彼女はがんばりつづけた。ワークショップがある日の柴田さんは朝からわくわくしている、と井野さんから聞いた。柴田さんは、同室のIさんと特に仲がよく、親友と呼べる人を得たライトハウスでの生活は、彼女にとってようやく訪れた心穏やかな日々だったのかもしれない。ちなみにIさんというのは、このコラムの前回のエピソード「台風」のIさんである。
    ある日私がIさんに「今度クリスタ長堀で上田さんのライブと展覧会があるよ」と言うと、「わたしもいきたいなぁ」とぽつりとつぶやき、申し訳なさそうに、切なく笑った。
    そんなIさんにもライトハウスを修了する日がやってくる。
    残された柴田さんはIさんに宛てた詩を書いた。
    そう、彼女は詩を書いたのだ。
    私が柴田さんと会った最期の日のワークショップで、柴田さんは唄をうたった。
    うたった唄は「若者のうた」。
    うたったといっても、柴田さんの声はとても小さいので、ワークショップ参加者のみんなが応援した。
    みんなの声が合唱になった。
    井野さんが耳をそばだて、柴田さんのことばを聞く。
    「次回のワークショップではがんばってIさんに宛てた詩を朗読してみたい」とのこと。
    私はとても嬉しく思った。
    ワークショップをつづけてきてよかったと。
    しかし次の回のワークショップに、柴田さんの顔はなかった。

    ライトハウスからを出なければならなくなった、と聞いた。
    癌が見つかったのだそうだ。


「The Lighthouse tapes vol.6 〜地面に折姫と彦星がある(後編)〜」

  • 柴田さんの不在と時を同じくして、ワークショップは低調になっていった。
    修了していく参加者。
    2年間つづけてきたワークショップの場が、だんだんと意義を失いつつあった。
    柴田さんの存在は大きかったのだ。
    梃入れとして、生活訓練部からの参加が始まったが、そこに強い動機は存在しなくなっていた。
    「あなたは視覚障害者を利用しているのではないか」と面と向かって言われたこともある(その正否を計るには、時間が必要だろう)。
    私はワークショップの前になるととても憂鬱になり、ライトハウスに行くのが嫌になった。
    そんな中、井野さんから電話をもらう。
    「(闘病中の)柴田さんに音の手紙を送ってあげたいので、協力してほしい」と。
    ワークショップを録音する作業をずっとつづけていた私は了解した。
    録音の日、参加者は生活訓練部からの女性がふたりとAさんSさんと井野さん。
    私はワークショップの合い間、自分の生活が今とてもだらしなくなっていて、なんとか立て直したいのだと、面白可笑しく語った。ワークショップの形式がなんとも息苦しく感じられ、何か新しいことをやりたいと思ったが、その時の私は逸脱するだけの方法論もエネルギーも持ち合わせていなかった。
    私は自分のつくったメソッドにがんじがらめだったのかもしれない。
    時間の最後に、柴田さんへの音の手紙の録音に協力してほしい旨をみんなに伝えた。
    呼吸を整え、ギターの即興演奏が始まると、声のハーモニーも立ちあがってくる。
    柴田さんの代役として朗読を担当するのは井野さん。
    Iさんに宛てた私信のような詩が、やさしく、しっかりと発語される。
    これはIさんに宛てた手紙ではなく柴田さんに宛てた手紙だった。
    朗読が終わっても、ハーモニーは途切れることなく、やがて"若者たち"の合唱に変わっていった。

    録音されたCD-ROMは井野さんを通じて柴田さんのもとへ届けられた。
    病状が思わしくなく、連絡もままならない状況の中で、柴田さんはそのCD-ROMを何度も聴いてくれたそうだ。
    しばらくして嬉しい便り。
    柴田さんは随分元気になり、ライトハウスに訪問されたことを聞いた。
    私はライトハウスでつづけてきたワークショップの新たな可能性を求めて読歩projectを立ちあげていた。
    また柴田さんに会える日が来たらいいな、なんて呑気に考えていた。
    しばらくしてメールが届く。
    私にとっては突然の訃報だった。
    後日井野さんは私に語ってくれた。
    どんなに病状が進んでも、決して弱音を吐かず、最後までがんばり通した柴田さんの死顔は、貴い仏様のようだったと。
    井野さんの泪で曇った声を聞きながら、私は、ライトハウスでのワークショップをこのまま終わらせるのではなく、何らか形を変えてでもつづけていく方法はないか、と自分に問うていた。

    柴田さんの面影が見ていた。
    誰のためでもなく、ただ、この細い糸を繋いでいく。

    ※「The Lighthouse Tapes」シリーズ終了。
    次回から、ライトハウスレポート最終章「対話の午後」をお送りします。
    お詫び
    前々号のコラム上で不適切な表現があったことをお詫びします。
    柴田さんは、社会経験、生活経験から起こる、「声の小さい」状況を持っている利用者さんでした。



ライトハウスレポート最終章
〜対話の午後〜(前編) 飯島秀司

  • 2004年最後のワークショップは、なんとも淋しかった。ライトハウス利用者の殆どが帰宅していて、私と井野さんをいれても3人しかいない。あとのひとりも、研修中の年配の晴眼者。しかたなく、私たちは椅子に腰掛け、雑談をした。その日、参加者が少ないことは、事前に知ってはいたが、やはり場は沈みぎみ。なにより自分の気持ちを"もちあげたい"と考えた私は、即興でナイロン弦のギターを弾きつづけた(ぼんやりとでも弾いていれば、大抵気分が良くなる)。私たち3人は語り合う、それぞれのバックグランドから、興味のあること、生活全般について。そのうちに、ある事を意識しなくなる。気まずさ、とか、逡巡する心の動き、とか。自意識のバランスがふっと変わる瞬間。そして、ギターを弾く私の身体も軽くなっていった。

    年が明けても、金曜日はやってくる。
    私はそれまで続けてきたワークショップのカタチをいったん捨てた。
    金曜日の午後、ライトハウスでは、食堂を使って、『チャッピールーム』という喫茶タイムを実施していた。そこにギターを持って乗り込む。ギターのお兄さん(?)の余計なお世話である。ライトハウス側にはこの試みが自分なりのワークショップの新しい形式であり、あくまで『試験的』であることを説明した。
    ジョイフルセンターの利用者さんは、半年から長くて1年で修了するので、ワークショップに慣れ、いい感じになってきたあたりで「今回で最後なんですよ」となる。私は何らかステージ出演といった目標を設定するべきだったのだろうか。各回のワークショップの時間には、重要な瞬間が確かに存在したのだが、継続性に繋げていくことがどうしても出来なかった。アーティストワークショップに必要なことは、実は生活の一部になることなのかもしれない。
    チャッピールームという場を借りて、とにかくそれに挑戦してみようと思ったのだ。

〜対話の午後〜(第二回)

  • 春めいた陽射しが眩しい金曜の午後、視覚障害者施設ライトハウスの仮設喫茶・チャッピールームの時間がやってきた。参加する私は自分なりのワークショップをやるつもりまんまんだが、利用者さんも他の職員さんもそんな心づもりがあるはずもない。13時すぎに着いたらまだ準備中だったので、何か手伝えることはないか、と訊ねたところ、利用者のKさんと一緒におしぼりを巻くことになった。Kさんにやり方を教わる。布を浸した洗面器の水が冷たい。おしぼりを巻くのははじめての経験だ。そうこうしているうちに他の利用者さんもぼつぼつやってきたので、ギターを持ってテーブルに着いた。コーヒーが出てくる。職員の井野さんが気をつかって、私の紹介をしてくれた。知らない人が何人もいる。以前のワークショップでは出会えなかった人達だ。私たちはコーヒーを飲みに来た者同士としてテーブルを囲む。講師と参加者という関係でないことの気楽さを良い方に活かせたらいいのだが。静かな即興演奏をするつもりでギターを弾きはじめたが、新参者への気遣いもあるのだろう、みんなの話題はどうしてもギターに集中する。「何か曲を演奏してください」という声が大勢を占めた。かつて楽器というのは曲を演奏する為のもの、と思っていた。そんな私も30歳を過ぎてからの経験を通して、楽器=曲を演奏する為のもの、とは考えなくなっていた。とは言え、ややこしい話はもちろんしない。今回の取り組みは時間はかかると覚悟している。新しいワークショップのイメージだけがあった。私は答える「楽譜があって、私が知っている曲なら、弾けると思うので、リクエストしてください」。結局その日は、沢山のリクエストトがあり、私はそれに出来る限り答えていって終わった。問題は、私がここ15年くらいの日本の唄をほとんど知らないこと。結局、懐メロばかりになってしまい、少々申し訳なく思った。

  • ※ワークショップのあいだ、お互いの“距離をちぢめる”ため、参加者全員があだ名で呼び合いました。本文中の記載も、その時の呼び名で記載させていただいております。
    メールマガジン版ぽえ犬通信にも「ライトハウスレポート」が掲載されています

飯島秀司



第一部・第二部 

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